日本でも、「規範から外れたら一巻の終わり」という恐怖「だけ」で人を縛る時代はそろそろ終わりにして、ちょっと「外れた人でも何とかなる」方向にバランスをシフトしてほしいものだ、と思っている。また、たとえ仕組みが今のままでも、親御さんや先生は、「どうにもならない」とあきらめないでほしいと思う。
閉塞感で窒息しそう。
民主党が政権を取っても、自民党が政権維持しても、
ある世代から搾取して、他の世代に分配するって構造が継続されれば今の閉塞感は変わらないだろう。
ぼくたちは失う「不安」のためではなく、手にする「期待」のためにこそ働くべきなのだ。
そういう年代の人たちは、「そんな『じっと我慢してりゃそのうち良くなる』なんて、なんでそんなに楽観できるのかわからない」という話になるわけですね。
万人にとって価値のある文章は書けないし、その意味では世の中のブログのほとんどには価値がないです。だけど、実際にはそこまでの価値のものを目指す必要はない。
大して厚遇されるわけでもなく会社に尽くす現実を見てしまった世代の人たちはちょっと優秀な頭をもっていたら文系に行きたがるよね。
つまり匿名での高度な議論って難しいってことなんですかね。
その物がもつ「意味」を表現できていない残念なデザインが多すぎる。いや、表現できないどころか、意味を混乱させてしまうことさえあります。
どんなに声高に「表現の自由」を歌っても、例えば法律で規制されればすでにOUTなんです。それは自分達がこの手のソフトが好き、というぐらい、それを嫌う相手側にも表現の自由がある。
今あるこの激情で就職活動をするしかない。前向きなんてクソくらえだ。ならば、人事、役員、そして自分を騙して内々定をとってみせる。嘘で塗り固め、全く違った自分を演出してみせる。見破れるものなら見破ってみろ。神は誰も救わない。自分を救うのは自分でしかないのだから。